画像はイメージ。

彼は、心から唄う。彼は、激しく歌う。土下座のようなポーズをしながら、泣きながら歌うこともある。ライブの最後はマイクを後ろに投げ、観客に飛び込んだ後に倒れ、死にかける。とあるインタビューで、「俺は尾崎豊の元に行きたいんです」と発言している。

正井雅人(まさい・まさと)は、Kosugi期に創作されたオリジナルキャラクターである。


人物概要

正井雅人は、東京近郊の地方都市で生まれ育った。幼少期から内向的な性格であり、学校生活には馴染めなかった。唯一の逃げ場は音楽であった。中学時代に尾崎豊のアルバム「十七歳の地図」を聴いて衝撃を受け、それが彼の人生を決定的に変えた。「音楽で叫ぶことができるなら、俺は生きていける」と後に語っている。

正井の音楽は、パンク、オルタナティブロック、フォーク、そして日本語の叙情詩が混在する独自のスタイルである。歌詞は極めて私的でありながら、社会への怒りや孤独、そして愛への渇望が核にある。ライブパフォーマンスは常に命がけであり、過去に数度、ステージ上で倒れて救急搬送されたことがある。

彼のディスコグラフィーは全7枚のアルバムと2枚のEPから成り、活動期間は約15年に及ぶ。商業的な成功とは無縁の時期が長かったが、熱狂的な少数のファンに支えられ続けた。


1stアルバム「17歳の心の唄」

背景

正井雅人はデビューをするまで、とある17歳の少年と共同生活を行っていた。この少年の名前は公表されていないが、正井は後に「あいつがいなければ俺は音楽をやっていなかった」と述べている。その17歳の少年は飲酒や喫煙などを行い、激しい音楽が好きだった。二人は狭いアパートで生活し、壁に尾崎豊のポスターを貼り、毎晩のように音楽を聴いた。正井はその少年に影響を受け、音楽の制作を開始した。

レーベル加入

正井は様々なメジャーレーベルへの所属を考えたが、彼の音楽性を受け入れるレーベルは存在しなかった。ある大手レーベルのA&Rは「才能はあるが、商品にはならない」と断った。別のレーベルでは「歌詞が過激すぎる」と門前払いされた。

0年1月に正井は都内の小さなレーベルに入り、プロデューサーの大木と出会う。大木は当時40代で、かつてインディーズシーンで名を馳せた人物であった。大木は正井の歌声を聴いた瞬間、「こいつは本物だ」と感じたという。このレーベルは自由度が非常に高く、アーティストの表現を一切制限しない方針を掲げていた。

レコーディング

正井は大木と共に収録曲10曲をレコーディングしたが、一部の曲で非常に激しい動きをしながら歌っていた。特に「ふざけるなよ」のレコーディングでは、正井はマイクスタンドを蹴り倒し、床に突っ伏しながら歌った。大木は「録音ブースの中で暴れるアーティストは初めて見た」と振り返っている。

「僕」の録音中、正井は涙を流しながら歌い、テイク3で声が出なくなった。大木はテイク2を採用した。正井は大木に「俺はアルバムしか出せない。シングルで切り売りするような音楽じゃない」と言った。

収録曲

0年12月発売。